東北へ2016年

南相馬 鹿島の一本松と菜の花畑

2016年05月26日

閖上さいかい市場を後にして、仙台空港を通り、岩沼ICから常磐道に乗り南下、相馬ICで高速を降りて、県道74号線を南に向かいました。
途中えらい雨でしたが、南下するにつれて雨はやみ、青空も見えてきました。

県道74号線沿いで目に入ってきたメガソーラー、相馬市磯部地区です。昨年7月1日から着工し運転開始は2017年6月。
塩害により農作が困難になったことから農地転換が認められメガソーラーの建設をすすめているそうです。

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この近くにも慰霊碑があり手を合わせてきました。

ここにも津波に耐えた松があります。鹿島の一本松です。

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南相馬には何度か来ていましたが、ここに来るのは初めて。

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枯れてるのかな?

ここは、2012年に初めてボランティアとして作業をした場所です。
当時は、山積みの瓦礫、破壊された防潮堤があり、海が見えていました。

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今は整備が終わり、海は見えなくなっています。

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最終目的地、南相馬市原町区萱浜です。
子供たちの声、笑顔、菜の花で作られた迷路があります。

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ここから海側に移動しました。昨年参加した植樹祭の場所です。

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この辺りに5,6本植えた。確かこの辺り。。。。。

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昨年はここで、頑張っていた。みんなに笑顔をくれた。

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地元でがんばってるな。

ボランティアで作業をした場所を見て回りました。
あの場所でいつか、給油をしたい。いつか。

安曇野へと向かいました。

昨年は、震災の遺構をめぐる旅でした。また数年後と思っていましたが、今年は、その遺構の一つである、田老観光ホテルが公開されたことから、見に行きたくなり、そこから南へと向かいました。昨年見た街並みとの変化を見る旅となった感じです。
来年はどうするかな。また行ってるかもしれません。

今回いろいろなHPをリンクしました。その他に見つけたサイトです。
HP:東日本大震災と津波被害における被災前後の航空写真ご提供

閖上 2016年5月1日

2016年05月24日

5月1日今回の旅の最終日。仙台から閖上へ向かいました。
県道10号線を通り、閖上大橋を渡り、ブルーの歩道橋の下、5差路を通りました。
TVでよく見た景色でした。

閖上の記憶へ向かいました。
閖上の記憶は、日和山、慰霊碑と十字路をはさんで同じ場所にあります。
到着した時間が早く、まずは、その向かい側にある慰霊碑へ。
「種の慰霊碑」から発芽した「芽生えの塔」。塔の高さは津波の高さを示しています。

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HP:名取市 東日本大震災慰霊碑建立のお知らせ

日和山です。

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日和山は、ゆりあげ漁港への船の出入りを見るためと、漁師が気象、海上の様子などを見るため、1920年(大正9年)に築造された山です。標高6.3mの山頂には、富主姫神社の社殿などがあり、地域の人々が集う憩いの広場として親しまれてきましたが、2011年(平成23年)3月11日に発災した東日本大震災による大津波にのみ込まれ社殿が流失、石碑は倒壊してしまいました。山頂に残った木の幹に大津波の爪あとが残っていたことから津波は山頂から2.1m
の高さまで水位が達したことが推定されます。

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頂上から見た今の閖上地区です。
中央にあるのが閖上の記憶です。

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この辺りは住宅密集地でした。

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慰霊碑があり、その奥に見える車は、ゆりあげ港朝市の駐車場です。
太鼓の音が響いていました。まだ時間があったのでそちらに向かいました。

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朝市はなかなかのにぎわいです。海産物だけかと思いましたが、何でもそろう感じです。
後で聞きましたが、震災前よりにぎわっているそうです。

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太鼓の音は、琉球國祭り太鼓でした。

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買った物をその場で焼くことが出来るBBQコーナーもありました。
せっかくだからね、焼いていただいたホタテを頂きました。

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朝市は、日曜祝日のみです。
HP:ゆりあげ港朝市

朝市会場の一番奥にある、メイプル館。こちらは水曜日定休です。
朝市で取り扱っている商品や、食事もできます。

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この後、閖上の記憶へ向かいました。

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まずは、奥の部屋でこの地で起きた事をまとめた映像を見せていただき。
震災前閖上の航空写真のパネル、テレビに映し出された空から撮影された映像を元に、お話を伺いました。
何度も見て、記憶の中に残っていた映像、あの映像はこの場所。
閖上大橋で事故があり、5差路での渋滞の話。
この場所では津波は静かに襲ってきた、気がつかなかった。
防災行政無線が故障していた話、気がつかず使用していた話。
日和山の石碑の話。「地震があったら津波に用心」この石碑は日和山の下に立っていたそうです。
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昭和8年の地震で発生した津波、その時は死者は出なかった。ここには津波はこない、そんな認識でいた。

閖上地区は現在嵩上げの工事が進んでいる。平日は、ひっきりなしにダンプが走っている。
嵩上げは限られた区域。計画はなかなか決まらなかったようです。
内陸で生活を始めた人たち、この地に戻ってくるのか。

避難場所を移動しようとして走り出した少年とその場にとどまった母の話。
TVで見た話でした。番組の中で、慰霊碑が学校に建てられたのを見ました。
今は、その校舎が取り壊しになり、慰霊碑は現在、閖上の記憶の隣にあります。
手で触りやすくするため、高さ、形を工夫した慰霊碑です。この場所を去る時、私もなでてきました。

HP:閖上の記憶

この後、閖上さいかい市場で食事を取り、最終目的地南相馬に向かいました。

HP:閖上さいかい市場
HP:名取市

がんばろう石巻

2016年05月22日

昨年は女川の後て石ノ森萬画館へと向かいましたが、今年は国道398号線から
県道240号線に入り、がんばろう石巻へ向かいました。
場所が移動していたようで、Googleマップとはちょっと違っていました。
この看板は、4月に新しく作り直した2代目の看板です。

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今後5年ごとに作り替えて行くそうです。

HP:河北新報 「がんばろう!石巻」看板2代目 思いつなぐ

到着したのは16時を過ぎていてお隣の施設が終わってました。チェック不足でした。

ここは震災前は住宅密集地でした。
計画を見ると今後祈念公園として整備されます。今年その都市計画が決定予定となっています。
完成は2020年の予定です。

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所々盛り土が行われ、周りが囲われていました。

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公園のための試験植栽でした。

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この後松島に立ち寄って、その後宿泊地の仙台へ向かいました。

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石巻についてもあまり知識がなく、HP等チェックしています。

HP:石巻市の復興状況について

女川町

2016年05月21日

大川小学校から、引き続き国道398号線で女川町へ向かいました。

女川駅前にて。

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駅の上からの景色です。昨年見た景色は、造成されたばかりで建物のない景色でした。
あれから1年1か月。

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シーパルピア女川が生まれていました。
店舗数は27店舗。飲食店、段ボール製品店、ドラッグストア、ミニストアー、理髪店などなど。

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HP:女川駅前にぎわい拠点

やっぱり見ておかないと、話題のダンボルギーニを見てきました。

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商店街でコーヒーブレーク。疲れたので甘いものもいただきました。あ、絵はありません。

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昨年は見忘れてしまった女川交番を探しました。
どこだろうと思いながら商店街を海側に向かうとすぐ見つかりました。

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震災の遺構として保存が決まっています。

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この周辺はメモリアル公園として整備がされます。

HP:女川町復興計画

大川小学校

2016年05月20日

南三陸町を後にして国道398号線で大川小学校へ向かいました。
北上川沿いを通り、橋を渡れば到着と思っていましたが、橋が、通れず。
ちょうど工事のため通行止めとなっていました。15km先まで走り戻りました。

大川小学校です。
今年も学校と橋のたもとで手を合わせてきました。

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今年の3月に震災の遺構として保存が決まりました。
整備が始まるようですが、着工時期は未定となっています。

HP:河北新報 大川小学校保存表明

南三陸町

2016年05月18日

防災対策庁舎です。昨年は近くまで行けましたが、周辺には入れず、通りをはさんだ場所から手を合わせてきました。

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防災対策庁舎は、2031年3月まで県有化し保存されます。その後町に返されます。
それまでに解体か保存かを決めるそうです。

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計画を見ると、防災対策庁舎の周辺は公園となり、その周辺の道路は嵩上げが行われ、道路からは見降ろす形になるようです。

今年もここに立ち寄りました。いいですねここ。

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お店は、はしもと。ウニ丼です。値段は忘れました。。。。

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商店街に向かう途中高台へ向かう道を見つけ、食事の後に行ってみました。
志津川小学校があり、その前からの景色です。
高台の造成地から発生した土を活用して嵩上げを行っています。

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志津川市街地を広く見渡せる場所でした。防災対策庁舎が見えます。

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川の左側は、商店街と道の駅が作られ、防災対策庁舎の周りは公園とする計画のようです。
土地の引き渡しは、平成30年を予定してます。

HP:南三陸町の復興とこれからの歩み

大谷海岸 竹の会所 伊里前福幸商店街

2016年05月16日

気仙沼から南三陸町へ向かう途中立ち寄った場所です。

昨年も立ち寄った道の駅大谷海岸。今年は、ふかひれソフトではなく普通のソフトを頂きました^^

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ここの景色は、変わっていませんでした。

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道の駅を後にして45号線を行くと、目に入ってきた不思議な建物。

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車を止めてお邪魔してきました。竹の会所と言う場所でした。

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"竹の会所"について
「震災ひと月後、この地を訪れたとき、津波で「みんなが集まる場所もかくなってしまった」とお話を聞きし、私たちに何ができるのか?と悩みながらも、このプロジェクトを決意しました。私たちには資金力も権力もありませんが、学生たちの若い力、エネルギーがあります。その力を合わせて、少しでも地域のみなさんのお役に立てればという想いでした。
すべて手作業の自力工事は難航を極めます。台風直撃を受け、ようやく立ち並んだフレーム全てがなぎ倒されました。それでも学生たちは諦めませんでした。
完成のとき、平磯芸能保存会の方々が虎舞を舞って竣工を祝ってくださいました。
「ひとりひとりは小さな力でも、みんなの力を合わせれば大きな力になる」その思いを実感した学生たちは、"たけとも"を発足させ、子供たちのためにお祭りを開いています。子供たちと学生たちのまるで兄弟のように無邪気に触れ合う笑顔が印象的です。"竹の会所"はいずれ無くなりますが、彼らの心の中にはずっと生き続けるのではないだろうか。時間と空間を超えて、ひとつひとつの小さな絆がつながってきているのではないだろうか。
「会所を通して、私たちの想いとみなさんの想いがひとつとなり、心の支えとなれば幸いです」
ここは、笑顔の集まる場所です。」
滋賀県立大学 陶器浩一

竹を組んで建てられた建物でした。

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なんかここ、よかった。

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Facebookに学生たちの奮闘ぶり、子供たちの笑顔がありました。

HP:Facebook たけとも

2012年度日本建築大賞となっていました。
HP:日本建築家協会

昨年も同じ道を通りましたが、気がつかなかった。。。
検索して見たHPには、4年間との記述もあったので、もしかしたら今年取り壊しになるのかもしれません。

こちらは昨年も立ち寄った、伊里前福幸商店街です。嵩上げのためか昨年とは反対側に店舗が並んでいました。

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昨年撮り忘れた郵便ポスト。

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このポストは、津波で流され、約2400キロ離れた西表島で発見され、その後南三陸町歌津に帰って来た郵便ポストです。

今年も山雅のフラッグを探しました。通り側で見つけました。

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山雅も頑張れよ。

HP:伊里前福幸商店街

気仙沼 2016年4月30日

2016年05月15日

今年の宿泊先は、ルートイン。
到着した時すでに日が落ちていて、町から外れた場所でしたので、車で、気仙沼横丁へ。
海鮮居酒屋大魚丸さんで食事をしました。マグロいくら丼だったかな。
写真は撮り忘れてしまった。^^;;

次の日の30日に、昨年も通った県道34号線を通ってみました。
昨年は、バスの高さほどの盛り土が行われ、見晴台があり、そこには津波の高さを示すパネルがありました。嵩上げが終了し新しい道路が作られていました。
34号線の動画を撮影しました。スマホの縦の映像です。見にくくてすいません。

大きい画面で見たい場合は、YouTubeに移動してください。

数年後この道を通ったら何事も無かったかに思えてしまうかもしれません。


陸前高田 2016年4月30日

2016年05月11日

29日陸前高田に到着したのは、夕方。
この日立ち寄ったのはここだけ。キャピタルホテル1000の駐車場です。
ホテルは、少し高台にあります。そこからの陸前高田です。

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出発前にここに泊まろうかと迷ったホテルです。どこにあるのかと見に行ってきました。
良い場所にありました。次回はここに泊まるかな。

HP:キャピタルホテル1000

この後この日の宿のある気仙沼に向かいました。陸前高田には翌日30日に戻って回りました。

奇跡の一本松へ。
周辺はベルトコンベアは撤去が終わり、後は川を渡る希望のかけ橋だけとなっていました。
希望のかけ橋も9月までには撤去されるそうです。

昨年は、希望のかけ橋の下を通り、回り込むルートでしたが、今年は直線的に一本松まで通る道となっていました。

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土砂の排出口のスイング用レールのあった基礎。

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ベルトコンベアのあった基礎。

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あちこちに避難路が示してありました。奥に見えるのが希望のかけ橋です。

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奇跡の一本松。

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やなせたかしさん画「ヒョロ松君」イラストをタイルで描かれています。

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イラストをなぞって、おひさまを右にずらして撮影。

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奇跡の一本松を後にして、昨年は見なかった場所を回りました。

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橋の上から。盛り土は行われていますが、この後はどうなるのか?

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市役所と消防署のある高台へ向かいました。

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やっぱり確認してました。ナンバープレート31-19

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消防署の奥は災害公営住宅が建設中でした。もう少しで完成と言った感じです。

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消防署の向かい側では、造成が終わり新たな住宅の建設が進んでいます。

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帰ってからあの場所はどうなるのかと思い、陸前高田市のHPを見ています。
PDFファイルで枚数が多くて見るのも大変だったりします。
地区によってその整備方針がかなり違います。どう変わって行くのかまた自分の目で見て行きたいと思っています。

大船渡

2016年05月10日

昨年は、嵩上げの盛り土が行われていた場所が多く、防潮堤は建設中でしたが、
今年は、新しい道路ができ、新しいホテルの建設も進んでいました。

建設の終えた防潮堤。

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新しい建設中のホテル。歩道も綺麗です。

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ホームセンターとスーパーが並んでいます。

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昨年は砂利が敷かれていましたが、今年はバス専用の道路となっていました。
気仙沼線・大船渡線BRTにもいつか乗ってみたい。

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HP:気仙沼線・大船渡線BRT(バス高速輸送システム)

この駐車場は、計画によると2018年に工事が完了する予定です。

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歩けた範囲はわずかでしたが、新しい街ができつつある感じを受けました。

HP:復興計画推進委員会

釜石 復興の鐘

2016年05月08日

釜石の駅前に立ち寄りました。車は駅のお隣のシープラザに置きました。

駅前にある復興の鐘。

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鐘には4つの文字が刻まれています。

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石碑のより。
全国1万人もの方々に1枚300円の「釜石復興の風うちわ」を購入していただきその支援資金と寄付金により完成しました。
鐘の側面には、4つの文字が刻まれています。
大震災で亡くなった多くの方々への「鎮魂の鐘」、
被災した郷土の復活を願う「復興の鐘」、
この震災を忘れず後世に伝える「記憶の鐘」、
そしてだれもが持ち続けなければならない「希望の鐘」です。
鐘を囲むモニュメントは、合掌をデザインしています。

シープラザ2階西側フロアでは、イベントの準備中でした。
ラグビーカフェのオープンイベントです。時間がなくて見れませんでした。
2019年のラグビーワールドカップは釜石も会場となっています。

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HP:ラグビーカフェ釜石

釜石市のゆるキャラ、かまリンも会場に来ていました。
釜石市の「か」をモチーフに右手には高炉の炎、左手には市の花「はまゆり」を手にしているそうです。

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シープラザ2階には復興情報のパネル展示もあります。

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駅から少し離れたドラッグストアーに立ち寄って、その裏手に消防署を見つけました。
私には、ナンバープレートを確認する習慣が付いているようです。

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大船渡へ向かいましたが、その途中虹が出ているのを見つけて。

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慌てました。いい場所へと思って車を走らせましたが、道を間違えたり、
もっと濃かったんですが、残念ながら間に合いませんでした。

次回来る時はもっと釜石に付いて学んでから行こうと思っています。

HP:釜石市

大槌町

2016年05月07日

2時頃に大槌町役場に到着しました。
役場は遺構として残すのか結論はまだ出ていないようです。

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役場で手を合わせた後、立ち寄ったのは赤浜地区です。こちらでもイベントが行われていました。
さすがに食べれなかった。。。

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周辺を歩いてみました。

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沈下した分を嵩上げしたためでしょうか、扉が埋まってました。

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旧役場の西側の高台にある城山公園です。

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希望の灯り。神戸から送られた灯りです。

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この場所から町を見下ろすことができます。
嵩上げが終わり、新しい道が出来ていました。

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大槌町に来た時は、またここに来て町の様子を見たいと思います。

山田町

2016年05月07日

宮古で泊まったホテルに、山田湾のイベント情報のチラシがあり、行ってきました。
会場は国道45号線沿い山田魚市場。カキまつり!活気まつり!

結構な人が出ていました。

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この日のお昼ご飯となりました。カキ150円、ホタテ220円だったかな。。。

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買ったカキをその場でBBQで食べるコーナーも設けられていました。
家族ずれの方達が楽しそうでした。いい。

少し周辺を歩きました。防潮堤。

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土砂運搬用のベルトコンベアー。

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新たな国道45号線のための盛り土。

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建設中の建物は、災害公営住宅のようです。

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昨年は更地でしたが、嵩上げが進み新しい建物の建設もすすんでいました。

HP:山田町観光協会

国道45号線の標識について

2016年05月04日

東北の旅行で、田老から南に向かうのに通ったのが国道45号線です。
国道45号線には、津波に関する標識が設置してあります。
その内容をまとめた看板がありました。

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国道45号線は結構アップダウンが有って、登坂車線がある場所もあります。トンネルも多いですね。
下っていくと、「ここから過去の津波浸水区域」の標識があり、その後、前方何m後方何mの標識があります。
どちら側に逃げればいいか判断ができます。

でも、あくまでも過去の浸水区域ですので、それ以上があるかもしれません。
避難する時は、さらに上へと行くべきでしょう。

田老地区 2016年4月29日

2016年05月03日

今回の旅の目的、田老で、学ぶ防災に参加しました。
運よく当日の連絡で対応していただきました。ありがとうございます。

防潮堤→製氷貯氷施設→たろう観光ホテルと回りました。

まずは、防潮堤について。
青いのが扉となっています。昨年は扉は開いた状態で、通れるようになっていました。
震災前には、扉の上にエンジンがありこの動力で扉の開閉を行っていたそうです。
今後作る防潮堤には、こういった扉は無くし、その上を通る道を作るそうです。
扉を閉めに来た人達に被害が及ぶことを考慮してそのような構造にするそうです。

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防潮堤からの景色です。昨年も上った場所です。
昨年は嵩上げ用の土が盛られていましたが、野球場が出来ていました。今後はその隣に道の駅ができるそうです。

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登った防潮堤は、震災を耐えて残っていますが、その他の防潮堤は破壊されています。
作った年代、作りが違うために、破壊されてしまったようです。

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扉の周りは、鉄筋が入っているため壊れずに残っていますが、その他の部分は土砂にコンクリートをかぶせた構造のためか、破壊されてしまっています。
たろう観光ホテルの左側に見えるのが、高台の住宅地です。

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製氷貯氷施設前から。左側の建物は市場です。
この場所は沈下したため、嵩上げを行っています。製氷貯氷施設については昨年も書いたので省略します。

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たろう観光ホテルです。

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震災遺構として保存が決まり、整備が行われ、4月1日から内部が公開されています。
今回これが見たくてここまで来ました。

1、2階の状態です。

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外階段は元々あった階段です。5階まで上がりその後は内部の階段で6階まで上がります。
内部は当時のままです。

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地震に対しての心得が貼られていました。これは震災前から貼ってあったものです。

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6階の角部屋です。ここで映像を見せていただきました。

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窓からの景色です。
ホテルのオーナーがここから撮影した映像をこの場所で公開しています。
窓からの景色を見て、ここから撮影した映像を見てほしいとの思いがあります。
映像はこの場所でしか公開されていません。
映像の内容は、もちろん津波の映像です。詳しく書くのはやめときます。

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駐車場の入口に地殻変動が分かるモニュメントが置かれています。
前日の4月28日に式典が行われたそうです。
2.81m移動している事を示しています。

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地殻変動について下記のサイトを紹介します。

HP:国土地理院

野球場も見てきました。
落成式は、4月22日でした。まだ出来たばかり。キット、サクラサク野球場

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あきらめない心スタジアムとも呼ばれています

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お話の中から。
田老は防潮堤があって直接海が見えない。
中学校は、防潮堤の内側だが低い位置にある。そこからは製氷貯氷施設の屋根が見える。
屋根の上に水しぶきが見えた。その光景を見て高台に避難することになった。
決めたのは、用務員さん。先生は転勤がある、津波に対しての認識は低かった。

最後に高台の住宅地です。造成が終わり新たな町づくりが進んでいます。

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ここから45号線を南へと向かいました。

東北へ 2016年4月28日~5月1日

2016年05月02日

今年はGWに合わせて東北へ行ってきました。

4月27日に決断。
その夜にホテルを予約して、4月28日出発、5月1日に帰宅のスケジュールでした。

簡単な日程です。
 4月28日は、移動のみです。今回は東北道を水沢で降り、遠野経由で宮古に入りました。
 4月29日は、田老まで北上し、その後南へ向かい気仙沼に宿泊。
 4月30日は、仙台に宿泊、
 5月1日は、南相馬まで行き、そこから安曇野に戻りました。

徐々にアップしていきたいと思っています。