宮城県名取市閖上

2017年05月27日

県道10号線で、閖上へ向かいました。
10号線沿いには、海側に嵩上げ道路建設のため盛り土がされていました。高さは約6m、全長10km。道路は平成30年度完成を目指しています。
閖上大橋を渡ると、昨年とは道路が変わっていました。見えてきたのは、建設中の復興公営住宅です。

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今年も閖上の記憶に立ちよりました。

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お話を伺いました。
館内はあまり変わっていないとの事でしたが、周辺は変わりつつあり、そのお話を伺いました。新しい道路、区画整理、もともとベットタウンとなっていた閖上、他の場所で生活が安定してきている。その人々が戻ってくるのかが心配。昨年ちゃんと撮らなかった館内。こんな感じです。

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右奥は上映スペースになています。

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閖上の記憶は、区画整備のため移転を予定しています。
移転先は閖上市場のメイプル館の南側を予定しているそうです。

慰霊碑は変わっていなかった。

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日和山です。今年も登りました。

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閖上中心部、復興公営住宅方面。

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慰霊碑。閖上市場方面。この辺りは震災メモリアル公園になるようです。

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HP:閖上の記憶
HP:名取市 東日本大震災 復興計画関連情報

仙台空港を通り、千年希望の丘へ向かいました。

宮城県仙台市若林区荒浜 4月13日

2017年05月25日

県道10号線を通り荒浜へと向かいました。この道を通るのは初めてで、途中、初めて見る建物が目に入ってきました。その一か所に立ち寄りました。

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写真は、新浜津波避難タワーです。帰ってから調べました。
仙台市東部地域には13カ所。このような津波避難施設が作られています。

HP:仙台市 津波避難施設の整備について

今回荒浜にも立ち寄るきっかけとなったのは、旧荒浜小学校が震災の遺構として公開される記事を読んだためです。公開前で中を見ることは出来ないことは知っていましたが、立ち寄りました。4月30日から公開されています。

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来年またこれるようでしたら、ここにも立ち寄りたいと思っています。

HP:防災環境都市 仙台

小学校から慰霊碑のある海岸へ向かいました。
「荒浜祈りの塔」です。手を合わせてきました。

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慰霊碑の北側には、今年の3月11日に完成した「荒浜記憶の鐘」が立っています。

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球体に書かれている13.7mは、この地を襲った津波の高さを示しています。
モニュメントから球体までの距離が13.7m離れています。津波の高さを実感できるように作られています。

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HP:河北新報 <震災6年>記憶の鐘 祈りずっと

新しく整備された防潮堤に登りました。そこから見た景色です。

北側。

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南側。

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内陸側。

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そして、砂浜。

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荒浜ハートと書かれていました。

海岸沿いには、震災前は防潮林が広がっていたそうです。震災前後の仙台市の海岸線の様子、復旧の様子が見れるHPです。
HP:みやぎのかわとみち 「明日へとつなぐ」仙台湾南部海岸堤防復旧プロジェクト

荒浜の現在の様子です。

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建物の基礎が残されています。時間が止まっている感じがしてしまいます。
荒浜は、災害危険区域の中にあり、居住できなくなっています。災害危険区域は、南北に約10km、東西に約1km程になります。面積で12.13平方キロメートルあり、東京の国分寺市ぐらいの面積があります。

荒浜地区の土地活用方法については、まだ決まっていないようです。
HP:仙台市 防災集団移転跡地利活用

荒浜に向かう途中、こんもりとした丘をがありました。海沿いを少し戻ってそちらに向かいました。近くに車を止めてここも登ってみました。

避難の丘。

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その頂上から。内陸方面、広く平らな土地が広がっています。

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小学校側。

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海側。整備中の防災林が見えます。

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HP:海岸防災林・避難の丘

県道10号線で閖上へと向かいました。

宮城県七ヶ浜町 4月13日

2017年05月23日

12日の夜は、多賀城市に宿泊しました。夕飯には、ちょうど見つけた牛タン屋さんへ。絵は有りません。

13日は7時半頃出発、七ヶ浜町を回りました。七ヶ浜町は、多賀城市の東側、松島町の南側になります。町の3方が海に囲まれている町で、震災では36.4%が浸水区域となりました。

菖蒲田海水浴場を目指しました。こちらに来るのは初めてです。
スマホのナビでここだろうなと車を止めました。

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建設の終わった防潮堤に登るのは、初めてかな。
町のHPを見ると、海水浴場は、今年からの本格稼働を目指しているそうです。

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少し移動して。今年1月に完成した菖蒲田浜海浜公園。

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町を反時計回りに回って、多聞山へと向かいました。こちらも車で登れます。

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駐車場に車を止めて、公園内を歩きました。
こちらの毘沙門堂裏手からの景色が、松島四大観と呼ばれている景色となります。

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も~晴れてれば。今年はどうも天候に恵まれませんでした。

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公園内では、桜が咲き始めていました。

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この後荒浜へと向かいました。

HP:宮城県七ヶ浜町
HP:七ヶ浜町の復興まちづくり

石巻 4月12日

2017年05月22日

石巻では、まずは震災伝承スペース「つなぐ館」に立ち寄りました。
到着したのは4時半頃。

つなぐ館には、震災後のパネル、中心市街地の浸水の様子を示す模型、ボランティアの活動記録、ARアプリの紹介などなどがあります。

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HP:震災伝承スペースつなぐ館

ARアプリでは、震災前震災後の写真、津波の動画、そして未来図を見ることができます。アプリは、自宅に帰ってから見ています。

HP:石巻津波伝承ARアプリ

この後は、日和山公園に向かいました。日和山には車で登れます。
公園の北側にある、たい平桜。こちらはまだ咲いていなかった。
HP:河北新報 たい平桜

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公園内の見晴らしの良い場所に、震災前の写真が置かれています。

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南側では、桜が咲き始めていました。

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公園全体の引きの絵を撮り忘れてしまいました。公園の様子は、下記のHPを見てみてください。

HP:日和山公園

がんばろう石巻にも立ち寄りました。

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南浜地区は、復興祈念公園として整備が進められています。

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HP:宮城県における復興祈念公園

石巻を後にして、この日の宿のある多賀城へ向かいました。
途中、東松島市で県道60号線を走っていると、2羽の白鳥が飛翔して来ました。近くに越冬地があったのかな。撮りたく思える飛翔でしたが、車を止めることは出来ずに諦めました。
野蒜地区の伝承館に到着した時はすっかり暗くなってしまい、旧駅舎を良く見ることができませんでした。コンビニでお買い物をして多賀城へ向かいました。

HP:産経フォト 大震災の伝承施設が完成 宮城・東松島


大川小学校 女川町 4月12日

2017年05月18日

大川小学校に向かいました。
北上川沿いの道路から一枚。昨年は通行止めとなっていた新北上大橋。今年は通れました。よかった。

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大川小学校で手を合わせてきました。今年は、絵を撮る気になれず、女川へ向かいました。

シーパルピア女川です。平日は、さすがに人が少ない。

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女川では、地域医療センターに立ち寄りました。海側の階段を登りました。

津波記憶石を見てきました。

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千年後の命を守るために

ここは津波が到達した地点です
もし大きな地震が起きたら
この石碑より上へ逃げてください
逃げない人がいても、ここまで
無理矢理にでも連れ出してください
家に戻ろうとしている人がいれば
絶対に引き止めてください

女川中学校卒業生         
       

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東日本大震災では
多くの人々の尊い命が失われました
地震のあとに起きた大津波によって
ふるさとは飲み込まれ
かけがえのない
たくさんの宝物が失われました
これから生まれてくる人たちに
あの悲しみ あの苦しみに
再びあわせたくない
その願いで 千年後の命を守るために
三つの合言葉をつくりました
非常時に助けあうため
普段から絆を強くする
高台にまちを作り
避難路を整備する
震災の記録を後世にのこす
今 女川町はどうなっていますか
悲しみで涙を流す人が少しでも減り
笑顔あふれるまちになっていることを祈り
そして 信じています


女川中学校卒業生         

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QRコードが貼られていました。スマホで読み込めると思います。

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地域医療センターから。シーパルピア女川方面。

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同じ場所から海側。

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石碑のQRコードにアクセスしたら下記のHPにつながります。
津波記憶石について、女川町の震災前、3.11の被害状況が紹介されています。
HP:津波記憶石

HP:女川町

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